初めまして(●^o^●)

みなさん始めまして!7月1日からリニューアルオープンして早1ヶ月が経ちました。
遅ればせながらNEW店長のR.Tといいます!!
自分は本職はバーテンダーですので料理はまったくできません・・
しかし前シェフに負けず劣らずのシェフも入り心機一転エクセルガーデンカフェは生まれ変わりました!!
今後ともなにとぞよろしくお願いしますm(__)m

Cafeのラストブログ

4月25日を持ちまして、エクセルガーデンカフェは、休業となりなりました。
 2004年から約3年弱ですが、ものすごい濃い3年でした。
 入ったときは、23歳のペーペーな自分が気が付いたらCafeの中で1番の年長者。ここまで、頑張ってこれたのも、やさしさいっぱいのオナー夫妻や怖くて厳しかった先輩、わけもわからず一生懸命に頑張ってくれたスタッフ、コラージュの女の子には毎日癒しをもらい。小さなかわいい男の子と女の子の笑顔。Cafeに入社して初めてお話をさせてもらったお客様グラスワインとトマトスパゲティーをいつも食べてくださったご夫婦。 
 本当に色々な人に出会いイッパイの、思い出があります。                      
          感謝を込めてありがとうございます。m(__)m
 
 心残りはガーデンの皆様とお花見したかったなぁ…。"^_^"

桜いつ咲くの?

 二戸にも春が来たみたいで、日中はポカポカになってきました(^。^*)(まだ夜は、ストーブが必要な位寒いけど・・・。)桜が咲いてきて、こんなポカポカ陽気な日は、やっぱり花見でしょう!!日向ぼっこをしながらご飯を食べてノホホ〜ンとしたいですね。
 でも、問題が1つ!花粉症こいつだけが、めちゃ②やっかいだ!!"(>_<)”

バレンタインデーのうんちく №3

Q) どうしてチョコレートをあげるの?

A) 実は、女性が男性にチョコレートを贈るのは、日本独自の習慣です。欧米では、恋人や友達、家族などがお互いにカードや花束、お菓子などを贈ります。

 では、チョコレートはどこから出てきたかというと、1958年に東京都内のデパートで開かれたバレンタイン・セールで、チョコレート業者が行ったキャンペーンが始まりだそうです。そして、今ではチョコレートといえばバレンタイン・デーの象徴のようになってしまいました。クリスマスもそうですが、キリスト教になじみの薄い日本では本来の意味が忘れられて、セールスに利用されがちのようですね。

 自分の命を犠牲にしてまで神の愛を伝え、実践したバレンチノ・・・。今年のバレンタイン・デーは、そんな彼のことを思い出してください。

バレンタインデーのうんちく №2

Q) バレンタインデーはどのように始まったの?

A) ローマではルペルクスという豊穣(ほうじょう)の神のためにルペルカーリアという祭が何百年ものあいだ行われていました。毎年2月14日の夕方になると、若い未婚女性たちの名前が書かれた紙が入れ物に入れられ、祭が始まる翌15日には男性たちがその紙を引いて、あたった娘と祭の間、時には1年間も付き合いをするというものです。翌年になると、また同じようにくじ引きをします。

 496年になって、若者たちの風紀の乱れを憂えた当時の教皇ゲラシウス一世は、ルペルカーリア祭を禁じました。代わりに、違った方法のくじ引きを始めたのです。それは、女性の代わりに聖人の名前を引かせ、1年間のあいだその聖人の人生にならった生き方をするように励ますものです。そして、200年ほど前のちょうどこのお祭りの頃に殉教していた聖バレンチノを、新しい行事の守護聖人としたのです。

 次第に、この日に恋人たちが贈り物やカードを交換するようになっていきました。

バレンタインデーのうんちく №1

バレンタイン・デーは、英語では「Saint Valentine’s Day」、訳せば「聖バレンタインの日」という意味です。つまり、バレンタインというのは、人の名前なのです。どんな人だったかというと・・・。

 西暦3世紀のローマでのことです。皇帝クラウディウス二世(在位268−270)は、若者たちがなかなか戦争に出たがらないので、手を焼いていました。その理由は彼らが自分の家族や愛する者たちを去りたくないからだと確信するようになったクラウディウスは、ついに結婚を禁止してしまったのです。

 ところが、インテラムナ(イタリア中部にある町で、現在のテラモ)のキリスト教司祭であるバレンチノ(英語読みではバレンタイン)は、かわいそうな兵士たちをみかねて、内緒で結婚をさせていました。それが皇帝の知るところとなったから大変です。しかも、当時のローマでは、キリスト教が迫害されていました。皇帝は、バレンチノに罪を認めさせてローマの宗教に改宗させようとしましたが、バレンチノはそれを拒否しました。そこで、投獄され、ついには西暦270年2月14日に、処刑されてしまったということです。(269年という説もあります)。